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初風【陽炎型駆逐艦 七番艦】
Hatsukaze【Kagero-class destroyer】

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起工日昭和12年/1937年12月3日
進水日昭和14年/1939年1月24日
竣工日昭和15年/1940年2月15日
退役日
(沈没)
昭和18年/1943年11月2日
ブーゲンビル島沖海戦
建 造川崎造船所
基準排水量2,033t
垂線間長111.00m
全 幅10.80m
最大速度35.0ノット
航続距離18ノット:5,000海里
馬 力52,000馬力
主 砲50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷61cm四連装魚雷発射管 2基8門
次発装填装置
機 銃25mm連装機銃 2基4挺
缶・主機ロ号艦本式缶 3基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸
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翻弄された海戦で、壮絶な最期を遂げた初風

【初風】は竣工時には【黒潮】【雪風】と3隻で第十六駆逐隊を編成し、第二水雷戦隊に所属していました。
その後姉妹艦が続々誕生する中で【黒潮】は第十五駆逐隊へ転籍しましたが、代わりに【時津風】【天津風】が編入。
この4隻で太平洋戦争に挑むことになります。

太平洋戦争開戦時は、【初風、天津風】は第二小隊として【神通】とともに第四航空戦隊【龍驤】のダバオ空襲の支援に回っていました。
第十六駆逐隊はその後レガスピーを筆頭にダバオやケンダリーといった各都市の攻略を後押しし、そしてジャワ島攻略の際に発生した昭和17年/1942年2月27日に始まった「スラバヤ沖海戦」にも参加しています。
「スラバヤ沖海戦」は遠距離射撃を繰り返す重巡部隊を尻目に二水戦など駆逐艦たちは敵艦隊の懐に迫り、伝家の宝刀である魚雷を次々に発射。
しかし距離9,000mで発射した二水戦の魚雷も命中せず、この後四水戦がさらに肉薄して雷撃、砲撃を開始。
魚雷は命中しなかったもののこの接近戦で【英E級駆逐艦 エレクトラ】を仕留めており、二水戦はお株を奪われる形となりました。

海戦の最中も含め、各艦は撃沈させた船の溺者の救助にあたっており、【初風】【蘭軽巡洋艦 デ・ロイテル】の乗員を約40名救助しています。
しかし一方で救助中というのは船も停止もしくはかなりの低速になるため防御が手薄になります。
3月1日、【神通】に対して【米サーモン級潜水艦 シール】が魚雷4本発射し、また周辺の駆逐艦に対しても2本の魚雷を発射。
しかし魚雷はいずれも命中せず、【初風】らは【シール】に対して爆雷で応戦。
こちら側も手ごたえはなく双方空振りに終わったわけですが、さらにこの後【蘭KⅧ級潜水艦 KX】を発見した【初風】【天津風】とともに砲撃と爆雷でこれを攻撃します。
この攻撃で【KX】は損傷し、スラバヤまで逃げ帰ったのですが、もはや明日はないとなり、【KXⅢ】とともに日本軍に奪われる前に自沈処分されました。

イケイケドンドンだった日本ではありましたが、当初の大きな目標を達成してからの勢いは徐々に落ちはじめ、そして6月5日の「ミッドウェー海戦」での歴史的大敗北により日本は機関車の車輪を失ったに等しい状態になります。
【初風】ら第十六駆逐隊はミッドウェー島攻略のための輸送部隊を護衛しており、当たり前ですが海戦の成り行きなどほぼ知ることなく引き返しています。
そしてこの後8月に「ガダルカナル島の戦い」が始まり、例に漏れず最新型の駆逐艦である【初風】も激戦区に投入されました。
ちなみに6月から9月まで1ヶ月ごとに【雪風】と駆逐隊司令の座を交代し合っています。

8月23日に【初風】「第二次ソロモン海戦」に遭遇。
この時第十六駆逐隊は第三艦隊に所属していたのですが、チームメイトはバラバラでした。
第十六駆逐隊は8月11日には「ミッドウェー海戦」で九死に一生を得た【最上】【明石】の護衛をしたことで本土におり、そして【雪風】はそのまま本土に残っていました。
一方で【天津風、時津風】はこの戦いで沈没してしまった【龍驤】の護衛に出ており、【初風】だけが本隊についていました。
本隊の【翔鶴】【瑞鶴】ももちろん戦いましたが、この戦いでは本隊側の被害はなかったため【初風】も護衛をこなすだけでした。

しかし10月26日の「南太平洋海戦」では激しい航空戦の中で【翔鶴】【瑞鳳】が被弾。
特に【翔鶴】の被害状況は酷く、炎上しながら全速力で離脱。
【瑞鳳】も飛行甲板への被弾により離発着が不可能になったことから撤退を余儀なくされ、これらの護衛に【初風】【舞風】がついています。

大破した【翔鶴】は当然本土へ送還され、また相棒を失った【瑞鶴】も本土に戻ることになりました。
【初風】はこの【瑞鶴】【妙高】を護衛して【時津風】と共に本土へ帰還。
この影響で最後の大戦となった「第三次ソロモン海戦」にはこの2隻は参加していません。
本土帰還後にはこの2隻も整備を受けています。

12月31日、【初風】【時津風】【秋月】と共に【瑞鶴】を護衛して再びトラックへ進出。
この3週間ほど前に【時津風】【龍鳳】を護衛してトラックに先行する予定だったのですが、【龍鳳】【米ガトー級潜水艦 ドラム】の雷撃を受けて引き返したため、こっちにつくことになっています。

戻ってきた激戦地は放棄のための準備が着々と進んでおり、【初風】は総撤退前の鼠輸送に駆り出されます。
ところが昭和18年/1943年1月10日、多くの駆逐艦と共にガダルカナル島のエスペランス岬に差し掛かったところで魚雷艇に行く手を阻まれました。
警戒隊だった【初風】はもちろんドラム缶など物資をどっさり積んだ輸送隊を守るために戦いますが、逆に左舷?右舷?艦橋付近に手痛い一発を浴びてしまいます。
被雷した【初風】はその被害で若干艦首部が沈下しており、一時は自沈すら検討されたほどでしたが、機関などの足回りの影響はなかったことから【時津風】【江風】【嵐】の護衛を受けて戦線離脱。
16ノットとまぁまぁの速度でショートランドまで逃げ帰ることができました。

その後トラックまで引き揚げて応急修理を受け、4月に【鹿島】とともに日本へ戻りました。
【初風】は7月12日まで修理を受け、7月31日に【武蔵】らを護衛してトラックへ向かいましたが、到着後は再び本土へ帰還。
戻った後今度は【大和】【長門】【扶桑】を護衛してまたトラック島に向かいました。
ただ戦艦3隻に対して護衛が【初風】だけってのはいったいどういう事?

10月7日には、前日に【米ガトー級潜水艦 スティールヘッド、ティノサ】の雷撃により沈没した【風早型給油艦 風早】の生存者救助のために【五十鈴】【海風】とともに急行。
残念ながら到着した時に【風早】の姿はなかったのですが、3隻で生存者約250名を救出しています。

【初風】だけでなく、この頃の海軍の仕事はもっぱら輸送や哨戒、護衛でありました。
それだけ陸上の戦いが熾烈を極め、双方の海軍がそれを支援してきたのですが、空の支援では日本の不利は鮮明であり、また海上でも特にレーダーの優位性が単純な練度の差を覆すほどになっていました。
この頃はニュージョージア島、コロンバンガラ島、ベララベラ島を相次いで喪失し、そしてラバウル目前のブーゲンビル島に危機が迫っていました。
連合軍はラバウルは無視するつもりだったのですが、連合軍にとってもラバウルの喉元に刃を突き付けることになるブーゲンビル島の攻略は重要でした。

そして日本が周辺を警戒する中で連合軍は後方支援の不足を覚悟の中、11月1日に西側中央のタロキナに上陸を開始。
これを受けて日本もタロキナに逆上陸をするべく急いで輸送の準備を行ったのですが、これが予定より出発が2時間も遅れて(そもそも対応可能なスケジュールだったのかは不明)、さらに輸送中に敵機に発見されたことから逆上陸作戦は中止。
しかし護衛兼敵輸送部隊壊滅のために出撃していた連合襲撃部隊は撤退せずにそのまま連合軍が上陸しているエンプレス・オーガスタ湾へ進撃を続行します。

日本側の速攻に対して、連合軍は揚陸作業が完了しておらず、また乗員の疲労も抜け切れていない状態で、日本にも十分勝機がある状況でした。
連合軍は2日午前0時27分にレーダーで連合襲撃部隊を捕捉、一方連合襲撃部隊も搭載機が敵艦隊を発見し、ここに「ブーゲンビル島沖海戦」が勃発しました。

が、この時第一警戒隊の【川内】が被弾したことで後方の駆逐艦の隊列が乱れ、さらにその後ろにいる【妙高】【羽黒】と第二警戒隊(【初風】もここ)は全く効果的な攻撃をしませんでした。
隊列の乱れによって【五月雨】【白露】が衝突、また被弾に加えて隊列の乱れで航行に不自由を強いられた【川内】には砲撃と魚雷が集中してやがて航行不能に陥ります。
さらにこの戦闘中に、重巡と第二警戒隊は被害を避けるために攻撃前に退避行動をとっていて、しかもこの最中に【初風】【妙高】に突っ込んでしまいます。
あまりの衝撃に【初風】の艦首は消滅してしまい、衝突により吹っ飛んだ【初風】の甲板が【妙高】の艦首部左舷にひっかかりました。

この【初風】の大惨事後にようやく【羽黒】達も攻撃を開始したのですが、すでに第一警戒隊は【川内】が航行不能、2隻衝突と【時雨】だけの状態でした。
しかも砲撃も数少ない命中弾がすべて不発であり、日本側が挙げた戦果は「白露型」3隻のいずれかが放った魚雷が【米フレッチャー級駆逐艦 フート】に命中したものだけ(【フート】は大破)。
敵側も戦闘中に誤認や衝突など日本側に負けず劣らず失態を繰り返しているのですが、結局最大火砲を持った重巡の優位は全く活かせずに、夜明けの空襲も危惧されて部隊は1時半ごろに撤退を開始。
もちろん【初風】【川内】にそんな力は残っていません。

反撃の余地がない【初風】にはその後砲撃が繰り返されて沈没。
164名もの戦死者(乗員全員?)を出しました。
【川内】もその後漂流の末に沈没しています。
夜が明けても【妙高】にぶら下がる【初風】の甲板は「初風の額の皮」と言われましたが、稚拙な戦闘の末に見捨てられた【初風】の恨めしい気持ちが甲板には宿っていたのかもしれません。