
起工日 | 昭和17年/1942年1月15日 |
進水日 | 昭和17年/1942年12月19日 |
竣工日 | 昭和18年/1943年7月31日 |
退役日 (沈没) | 昭和19年/1944年6月7日 タウイタウイ島近海 |
建 造 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 | 2,077t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 次発装填装置 |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
潜水艦に翻弄された一生 早波
【早波】は十一番艦の【藤波】と同じ7月31日に竣工。
8月20日に【涼波・藤波・早波】で第三二駆逐隊を編成。
第十一水雷戦隊の下で訓練を積み、10月まで日本での待機が続きました。
10月15日、【早波】ら第三二駆逐隊は【山城・伊勢・龍田】と丁三号輸送部隊を編成し、トラック島へ出発します。
竣工から3ヶ月近く経って、ようやくの外洋でした。
到着後は早速輸送任務に就きますが、11月にラバウルへ向かった時に空襲に遭遇。
【早波】はこの危機を乗り越えましたが、僚艦の【涼波】が魚雷を受けて沈没。
たった3ヶ月半の一生でした。
【早波】は無事だった他の艦とともにトラック島まで逃げ帰りますが、その中で潜水艦の魚雷を受けた【阿賀野】が航行不能になっているとの知らせを受け、【藤波・能代】とともに救援に向かいました。
しかし【能代】の曳航索が切れるなど【阿賀野】の曳航は予想外に手間取ります。
結局新たに救援に来た【長良】に曳航され、【阿賀野】はトラック島まで退避することができました。
その後、【早波】は例に漏れず輸送・護衛任務を多くこなしていくことになります。
昭和18年/1943年1月、【早波】は【島風】とともに【輸送船 国洋丸・日本丸・健洋丸】をバリクパパンからトラックまで護衛する任務に就きました。
途中パラオ近海で【曙・漣】と合流し、護衛を強化してトラックまで向かう手はずだったのですが、その合流地点付近には招かれざる客も存在していました。
【米ガトー級潜水艦 ガードフィッシュ・アルバコア・スキャンプ】です。
【スキャンプ】は【涼波】の命を絶った憎き存在でした。
この3隻の潜水艦によって【日本丸・健洋丸・漣】が相次いで沈み、【早波・島風】は必死に潜水艦の撃退に努めるものの失敗、この後も引き続き日本を苦しめる恐怖の存在となります。
【早波】は無事だった【曙・国洋丸】と救援に来た【春雨】とともにトラックへ向かいました。
この時【島風】はパラオへ退避しています。
到着からまもなく、【早波】は【能代・雲鷹】らを護衛してトラックを出発しますが、ここでも潜水艦に頭を悩まされることになります。
沈没こそしなかったものの、【米ガトー級潜水艦 ハダック】の雷撃によって【雲鷹】が損傷、またもや撃退することができず、【早波】の雪辱は果たせませんでした。
一度日本に戻って修理を行った後、【高雄】を護衛して2月20日にパラオに到着。
以後は訓練を中心に、一部護衛任務をこなして3ヶ月がすぎました。
6月7日、【早波】はタウイタウイで対潜哨戒を行っていました。
そこへ侵入してきたのは、【米ガトー級潜水艦 ハーダー】。
【ハーダー】もまた、過去に輸送船や艦艇を多く沈め、そして前日には【水無月】を葬っていました。
【ハーダー】は【早波】発見から数分で魚雷3本を発射、うち2本が【早波】に直撃すると、【早波】は唐突な出来事に何もできずに沈没。
あまりにも呆気ない最期で、【ハーダー】の報告によると、発見から沈没までの時間は10分前後とのこと。
【早波】は最後まで潜水艦に対抗することができませんでした。