
起工日 | 昭和12年/1937年8月30日 |
進水日 | 昭和13年/1938年6月28日 |
竣工日 | 昭和14年/1939年12月20日 |
退役日 (沈没) | 昭和19年/1944年10月27日 シブヤン海 |
建 造 | 浦賀船渠 |
基準排水量 | 2,033t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 次発装填装置 |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
1年以上の修理を乗り越え、危険を顧みず救助に向かった不知火
【不知火】は【霞・霰・陽炎】とともに第一八駆逐隊を編成し、第二水雷戦隊に所属していました。
太平洋戦争開戦後は、火蓋を切った「真珠湾攻撃」をはじめ、「ラバウル攻撃、ポートダーウィン攻撃、セイロン沖海戦」に参加しました。
「ミッドウェー海戦」でも攻撃部隊の護衛として参加しましたが、結果はまさかの大惨敗。
引き返した後、第一八駆逐隊はキスカ島への輸送任務を任されました。
【陽炎】だけ【特設運搬船 菊川丸】を単艦護衛で別航路を辿りましたが、【不知火】はじめ3隻の駆逐艦は【千代田】と【輸送船 あるぜんちな丸】を護衛しながらキスカ島を目指しました。
7月5日、3隻はキスカ島へ向けて順調に航行を続けていましたが、この深夜に深い霧に取り囲まれます。
第一八駆逐隊の面々は、第二水雷戦隊に属していたこともあって連日激務が続いていました。
司令官の宮坂義登大佐はこの状態を鑑み、霧が晴れるまで一時仮泊をすることにしました。
しかしこれが仇となろうとは、誰も思っていなかったのです。
午前3時前、【米ガトー級潜水艦 グロウラー】が日本の船団を発見し、そして動かない的へ向けて魚雷を発射しました。
その魚雷は【霰】を、【霞】を、そして【不知火】を的確に襲撃しました。
【霰】はこの被雷によって沈没、【霞】と【不知火】は大破してしまいます。
特に【不知火】は艦体がくの字に折れ曲がって断裂寸前の危機にまで陥っており、崖っぷちで沈没を回避していました。
自力航行どころか曳航すら不可能な状態であった【不知火】は、工作隊により逆に危険な艦首を切断。
その際には艦橋すら取り払われ、それでようやく後進曳航が可能となりました。
見るに堪えない姿ながらも一命を取り留めた【不知火】は、9月から翌昭和18年/1943年11月までの長い期間、舞鶴鎮守府で修理を行いました。
その間に【陽炎】が移籍した第一五駆逐隊が全滅。
ネームシップを失った「陽炎型」は、「不知火型」と改められて管理されました。
ようやく修理が終わった昭和18年/1943年11月、【不知火】は第九艦隊に所属して訓練を行い、翌年1月には「ウェワク輸送」に参加することで戦列にも復帰します。
3月には【霞・薄雲・白雲】が所属する第九駆逐隊へ編入されますが、それからたった2週間で【白雲】が沈没、第九駆逐隊は第一八駆逐隊と名称を改め、3隻で活動することになりました。
水中探信儀の増設を行いながら、【不知火】は大湊や千島など、かつて苦汁をなめさせられた北方海域で活動します。
6月には一転してサイパン島への攻撃部隊に選ばれ、横須賀に戻るのですが、これは「マリアナ沖海戦」での大敗北によって中止。
せっかくこの時のために25mm機銃や電探を装備したにも関わらず、それを存分に発揮することはできませんでした。
追い打ちを掛けるように、【薄雲】が潜水艦の雷撃によって沈没。
第一八駆逐隊はこれで2隻となってしまいます。
昭和19年/1944年9月2日時点の兵装 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 2基4門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 |
機 銃 | 25mm三連装機銃 4基12挺 25mm連装機銃 1基2挺 25mm単装機銃 12基12挺 13mm単装機銃 4基4挺 |
電 探 | 22号水上電探 1基 13号対空電探 1基 |
爆 雷 | 九四式爆雷投射機 1基 |
出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年
それ以後、【不知火】は【霞】らとともに8月から10月まで硫黄島への輸送任務を行います。
10月25日には志摩艦隊の一員として、西村艦隊とともに「レイテ沖海戦・スリガオ海峡海戦」で敵艦隊との砲撃戦に参加することになりました。
しかし連携不足によって先行してしまった西村艦隊が開戦と同時に壊滅し、【時雨】を除いた6隻が沈没してしまいます。
さらに【那智】が退避中の【最上】と衝突、【阿武隈】も損傷したことにより志摩艦隊は突入を断念。
【不知火】は【扶桑】が散りゆく姿を見つめながらコロン湾へと退避していきました。
「スリガオ海峡海戦」で何もできなかった【不知火】ですが、翌日、パナイ島沖で輸送任務中に損害を負った【鬼怒】の救助のために同海域へと急行します。
しかしこれも時すでに遅し、【不知火】が到着した時にはすでに【鬼怒】は沈没し、乗員も輸送船などに救助されてその場を去っていました。
収穫なく戻る【不知火】でしたが、その途上で【早霜】が大破擱座しているとの情報を得ると、今度はその救助のためにセミララ島付近へと向かいます。
今度は【早霜】の姿を確認し、【不知火】は急ぎ【早霜】の救援に駆けつけます。
しかし【早霜】からは「ワレ早霜、敵襲ノ恐レアリ、来ルナ」との信号が【不知火】に発せられました。
【不知火】はそれに構わず【早霜】救助のため、沖合1,000m付近から救助カッターを降ろし始めました。
【早霜】の悪い予感は的中します。
狙いすましたかのように米軍の戦闘機が来襲し、速度が上がらないうちに【不知火】に爆弾が直撃。
大爆発とともに業火に焼かれた【不知火】は、その身を二つに割って轟沈しました。
【早霜】の乗員はあまりにも凄まじい大爆発を見て、悔しさで怒号をあげたといいます。
【早霜】はさらに救援に訪れた【藤波】の沈没も目の当たりにしており、そして生存者の中にはのちのマニラ市街地戦での凄惨な戦いに巻き込まれる人もいるなど、地獄のような世界を体験しています。