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若月【秋月型駆逐艦 六番艦】その1
Wakatsuki【Akizuki-class destroyer】

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起工日昭和17年/1942年3月9日
進水日昭和17年/1942年11月24日
竣工日昭和18年/1943年5月31日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年11月11日
第三次多号作戦
建 造三菱長崎造船所
基準排水量2,701t
垂線間長126.00m
全 幅11.60m
最大速度33.0ノット
航続距離18ノット:8,000海里
馬 力52,000馬力
主 砲65口径10cm連装高角砲 4基8門
魚 雷61cm四連装魚雷発射管 1基4門
次発装填装置
機 銃25mm連装機銃 2基4挺
缶・主機ロ号艦本式缶 3基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

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初月と並び、秋月型で貴重な長期未離脱艦 若月

【若月】は昭和17年/1942年3月9日に起工。
竣工は昭和18年/1943年5月31日ですが、実はこの次の【霜月】から「秋月型」の新造は大きく時間が空いてしまいます。
その原因は【秋月】【米ナワール級潜水艦 ノーチラス】の魚雷を受けて最終的に艦首を失ったためで、【霜月】の艦首を【秋月】にすげ替えるという荒業に出ています。
なので【若月】は妹達の誕生が遅れる分、余計に頑張らなくてはなりませんでした。

竣工後は第十一水雷戦隊にて訓練に励みますが、そのわずか1週間後、訓練地の柱島で心臓を揺さぶる大爆発音が響き渡りました。
【陸奥】が突然爆発を起こし、そしてそのまま沈没してしまったのです。
今持ってなお原因がわからない、【陸奥】謎の爆沈です。
当然訓練どころではなく、【若月】の初陣は【陸奥】乗員の救助となりました。

訓練内容で目立つのは、駆逐艦による戦艦の曳航訓練です。
戦艦にしろ空母にしろ、自力で動けなくなると基本的には同型艦かワンランク下の出力を持つ船が曳航することになるでしょう。
しかし「第三次ソロモン海戦」の際、【比叡】は周りには駆逐艦しかおらず、【比叡】をみすみす沈める羽目になってしまいました。
この訓練はその反省から取り入れられたものです。

【若月】【玉波】と協力して、2隻で一緒に【長門】を引っ張るという訓練を行っています。
人間なら引っ張る二人がピッタリ寄り添い、力の分散を極力抑えて問題なく引っ張れるでしょうが、船となりますと話は大きく変わってきます。
まずピッタリ寄り添うことなんてできませんし、お互いがキレイに行きたい方向に走るのも難しいです。
加えて出力や速度のバランスが崩れると、曳航索に逆に駆逐艦が引っ張り回されたり、曳航索が切れたりといろんな問題に直結します。
しかもこれをまだ訓練中の駆逐艦がやるってんですから、結構無茶なわけですが、日本の兵隊はやっぱり優秀なんでしょうか、大きな失敗もなく、予定よりも遥かに速い12ノットで【長門】をグイグイ引っ張り、訓練を成功させています。

その後も【若月】は第十一水雷戦隊に所属しながら、いくつかの任務をこなしています。
まず6月22日には【玉波】とともに横須賀へ向けて出港。
これはトラックから山本五十六連合艦隊司令長官の遺骨を抱えて帰ってくる【武蔵】を護衛するためだったのですが、【武蔵】達が横須賀に到着したのも22日なので、【若月、玉波】の護衛は【武蔵】のどのような行動に対して護衛するものなのかがよくわかりません。

続いて2隻には別の仕事が舞い込んできました。
横須賀に到着した23日、【澤風】の護衛で大阪から横須賀へ向かっていた【相良丸】【米ガトー級潜水艦 ハーダー】の魚雷を受けて航行不能となり、それを救助することになります。
【相良丸】【澤風】が曳航して天竜川の河口まで連れてきましたが、座礁させざるを得ませんでした。
しかもそこへ、陸が近いのに【米ポーパス級潜水艦 ポンパーノ】が魚雷2本を命中させました。
この被害が致命傷となり、後日【相良丸】はそのまま放棄れることになり、【若月】達も大したことができずに横須賀へ引き返しました。
そして27日に呉に戻っています。

7月1日に【玉波】がひと足早く第二水雷戦隊へ異動(彼女が第十一水雷戦隊に入ったのは4月30日)。
【若月】は7日に横須賀へ移動し、【冲鷹】を伴って呉へ戻ります。
その後10日に【冲鷹】達はトラックへ向けて出発し、【若月】も途中まではこれに同行しています。

【若月】が第十一水雷戦隊を卒業したのは8月15日。
【若月】は第六十一駆逐隊に配属となり、【涼月】【初月】との3隻編成となりました。
17日には【大和】を始めとした大所帯で日本を発ち、23日にトラック島に到着。
その後何度か機動部隊を護衛してマーシャル諸島付近に進出しています。

10月31日、第六十一駆逐隊に最初から所属していた【秋月】が隊に復帰。
これでようやく第六十一駆逐隊は4隻編成となりましたが、【若月】【秋月】と顔を合わせるのはまだしばらく先の話です。

30日に【若月】はトラックを出撃します。
目的地はラバウル、残りのメンバーは【阿賀野】【初風】【長波】で、これはブーゲンビル島への上陸を目論む連合軍を空襲するという、「ろ号作戦」に含まれる攻撃のために物資や航空隊の人員を輸送するための出撃でした。
4隻は11月1日にラバウルに到着します。

しかし事態は切迫していて、当日に連合軍はブーゲンビル島タロキナに上陸を開始。
これを受けてラバウル在泊艦は急遽タロキナへ向かうことになり、逆上陸部隊を乗せた輸送隊と、敵を撃滅するための襲撃部隊がラバウルを出撃しました。
【若月】ら4隻は第二警戒隊としてタロキナを目指していました。

しかし移動中に部隊は索敵機に発見されます。
敵が迎え撃つとなると無防備な輸送隊は危険極まりないため、輸送隊は撤退。
襲撃部隊だけが南下を続け、そして夜には「ブーゲンビル島沖海戦」が勃発しました。

ただ海戦が始まると、被弾により隊列は乱れ、第一、第二警戒隊は全く連携が取れずに戦いは一方的なものとなってしまいます。
第二警戒隊はほぼ何もしていませんし、【初風】【妙高】に衝突されて艦首を喪失。
その後【初風】は航行もできずに砲撃を浴びて沈没し、また第三水雷戦隊を長く牽引してきた【川内】も集中被弾の末に沈没。
こちらは魚雷が【米フレッチャー級駆逐艦 フート】に命中するなど一応戦果もありますが、惨敗でした。

ラバウルへ帰ってきた【若月】達でしたが、連合軍は「ガダルカナル島の戦い」以来邪魔な存在だったラバウルをこの機に壊滅させるべく、すぐに次の一手を打ってきました。
10月からラバウルへの空襲は行われていましたが、11月2日の空襲では船舶の被害を多数出し、ラバウルの危険度はMAXに達します。
【妙高】は至近弾を浴びており、【羽黒】とともに4日にトラックへ向けて撤退しました。

ただ危険度MAXなところに、「ブーゲンビル島の戦い」を支援するために8隻の巡洋艦などで構成された遊撃部隊が5日に到着。
もちろんこれは「ろ号作戦」がうまくいっていることが前提の派遣でしたが、まず「ブーゲンビル島沖海戦」でも敗北して、空襲もすでに何度か受けている中でこの出陣は、ラバウルにいる者からしたら意味わからん援軍でした。
そして巡洋艦の襲来を発見した連合軍は戦力を振り絞ってラバウルへの空襲を決行し、結果遊撃部隊はボコボコにされてしまいます。

5日の空襲では【若月】も至近弾を受けて浸水をしてしまいますが、至近弾の破孔による浸水だったので処置は可能でした。
なので包帯ぐるぐる巻き状態で帰ってきた遊撃部隊とは異なり、【若月】は空襲後すぐに次の行動準備に入りました。
それは前回失敗したタロキナへの逆上陸部隊の輸送でした。
1日は失敗しましたが、「ブーゲンビル島の戦い」は始まったばかりですから支援しないわけにはいきません。
翌日、【若月】は他の多くの駆逐艦や【阿賀野】【能代】とともにラバウルを出撃、ブカ島とタロキナの二手に分かれて輸送を行いました。
タロキナへ向かった【若月】は支援中に空襲を受けて小破したものの、これも軽微な被害だったようで、この輸送は成功します。

しかしラバウルの危険度は5日の空襲がピークになったわけではありませんでした。
5日の戦果は素晴らしいものだったので、連合軍は一気呵成にラバウルを無力化するべく、次の空襲に向けて第50.3任務部隊を派遣してきました。
11日早朝、再びラバウルは爆撃の雨に晒されます。

【若月】は防空駆逐艦の力を見せつけましたが、反撃を受けて至近弾でまたも小破。
大きな被害にならないのは流石でしたが、この空襲では【阿賀野】の艦尾喪失、【涼波】の沈没、【長波】の大破などまたもや大きな損害を出してしまいます。
もうラバウルはおしまいだということで、空襲後はラバウルに停泊していた船の撤収が始まり、【若月】も5日の空襲で大破して取り残されていた【摩耶】を護衛してラバウルを後にしました。

18日、トラックにいた【若月】は今度は【長鯨】【鹿島】【護国丸】を日本まで護衛することになり、【山雲】とともにトラックを出発します。
しかし翌朝、【若月】達を狙っているらしい存在に【山雲】が気づきました。
不自然に海面に顔を出していた曲面の黒い存在、あれは間違いなく潜水艦です。
【山雲】が急いで制圧に向かい、そしてそのまま【米サーゴ級潜水艦 スカルピン】の撃沈に成功。
生存者の救助も行った関係から【山雲】はトラックに帰ることになり、【若月】が3隻を護衛して26日に日本に到着しました。

その後【若月】は横須賀で修理とともに機銃の増設を受けます。
ところが修理中の12月21日に缶が爆発し、火災を起こすというビックリな事故に巻き込まれ、これにより修理は3週間近く延びてしまいます。

昭和19年/1944年2月6日、【若月】【初月】【矢矧】【朝雲】【風雲】【秋雲】と一緒に、【翔鶴】【瑞鶴】【筑摩】を護衛して洲本を出撃し、シンガポールへ向かいました。
【若月】にとって第六十一駆逐隊所属艦と一緒に任務をこなすのはこれが初めてとなります。
ちなみに前月に【涼月】が艦首艦尾をぶった斬られていたので、【涼月】との行動はまだお預けです。
シンガポール到着後はリンガ泊地へ移動し、1ヶ月ほど訓練を行ってから日本に戻ってきます。

28日には【若月】【初月】とともに【大鳳】を護衛して再びシンガポールへ向けて出発。
開戦後に誕生した正規空母である【大鳳】は、すでに4隻の正規空母を失い、しかもその後に続く空母がいなかった日本にとっては喉から出るほど欲しい新空母でした。
5月にはタウイタウイ泊地へ移動し、【若月、初月】は訓練と対潜哨戒に励みます。

しかしタウイタウイ周辺での対潜哨戒は功を奏さず、逆に4隻の駆逐艦が立て続けに潜水艦に撃沈されています。
6月5日に【若月】【水無月】と一緒に【興川丸】を護衛し、バリクパパンへ向かっていました。
それを監視する存在に気がついた【水無月】は、奴を沈めるべく反転します。
3隻を狙っていたのは、かつて【相良丸】を大破させた【ハーダー】で、【ハーダー】【水無月】の接近を待ち構えていました。

潜水艦と一直線に並ぶと、駆逐艦は魚雷を避けさえすればかなり有利になります、そのまま真っすぐ進みながら爆雷を落とせば、かなりの確率で被害を与えられるからです。
しかし魚雷の回避は距離が短くなればなるほど難しいのも当然で、【水無月】は距離わずか1,000mで発射された魚雷を避けきれず、2本の被雷により轟沈。
【若月】【水無月】の乗員救助にあたりますが、その最中に【ハーダー】【若月】をも沈めようと魚雷を6本発射してきました。
ただ幸いこの魚雷は命中せず、【若月】はその後【興川丸】の輸送だけは成功させました。

【ハーダー】の存在は海軍を萎縮させ、空母が外洋で訓練をすることもできず、大型艦の訓練は全く不満足なものとなってしまいます。
そしてそんな状況でさらにアメリカは日本が予測していた西カロリンではなくマリアナ諸島に攻撃を仕掛けてきて、「あ号作戦」は相手に主導権を握られた形で発動されます。
【若月、初月】【大鳳】を護衛し、「マリアナ沖海戦」に挑みました。

装甲空母【大鳳】から次々に艦載機が飛び立っていきます。
彼らが大きな戦果を上げることを期待する一方、例え【大鳳】に爆撃が落とされても、威信をかけた装甲空母、そう簡単に貫通されるものかと自信もあったでしょう。
しかし装甲はあくまで甲板に張られていたのであって、舷側や艦底は普通の空母です。
つまり魚雷の爆発も弾き返せるわけではありません。

潜水艦の警戒力には悪い意味で定評がある日本海軍ですが、「マリアナ沖海戦」でも潜水艦の侵入に気づくことはできませんでした。
【米ガトー級潜水艦 アルバコア】が5,000mほどの距離から魚雷を発射し、うち1本が【大鳳】に命中。
直接的な被害は注水で解消できる程度のものだったのですが、この衝撃で前部のエレベーターが歪んだまま止まってしまい、艦載機の出し入れができなくなってしまいます。
さらにガソリンが漏れ出てしまい、これが気化して充満しつつありました。
有毒ガスの充満により、あらゆる換気手段が取られましたが追いつかず、作業は混迷を極めました。

そして気化したガソリンは火気厳禁、攻撃から帰ってきた僅かな艦載機が甲板に胴体着陸をした瞬間、火花がガソリンに引火して大爆発を引き起こしたと考えられます。
この爆発の原因は諸説あるものの、【若月】からは炎が上がったかと思えばその瞬間に爆発し、甲板がベキッと裏側からめくれ上がり、その後【大鳳】は業火に焼かれていったのです。
初陣で使いものにならなくなった【大鳳】からは、説得されて下船した小沢治三郎第三艦隊長官(当時中将)を乗せたカッターが【若月】に向かってきました。
小沢中将はその後【羽黒】へ移乗しています。

【大鳳】からは爆発が続いていましたが、今すぐ沈むという様子ではなかったために救助活動が急がれていました。
【若月】は救助に参加できていませんが、主に【初月】【磯風】が救助を行っています。
この一方で【翔鶴】【米ガトー級潜水艦 カヴァラ】の雷撃で沈没しており、この戦いでは艦載機はまるでゲームのように安々と撃墜され、空母は潜水艦に撃沈されと、散々な結果となります。
さらに翌日は撤退中に追いかけてきた艦載機が【飛鷹】に爆弾と魚雷を浴びせ、こちらも沈没しており、「マリアナ沖海戦」は完敗も完敗、救いようのない大敗北でした。

昭和19年/1944年8月20日時点の兵装
主 砲65口径10cm連装高角砲 4基8門
魚 雷61cm四連装魚雷発射管 1基4門
機 銃25mm三連装機銃 5基15挺
25mm単装機銃 12基12挺
13mm単装機銃 3基3挺
単装機銃取付座 2基
電 探21号対空電探 1基
13号対空電探 1基

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年

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駆逐艦
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