
起工日 | 昭和10年/1935年4月25日 |
進水日 | 昭和11年/1936年11月1日 |
竣工日 | 昭和12年/1937年4月30日 |
退役日 (沈没) | 昭和18年/1943年8月6日 ベラ湾夜戦 |
建 造 | 藤永田造船所 |
基準排水量 | 1,685t |
垂線間長 | 103.50m |
全 幅 | 9.90m |
最大速度 | 34.0ノット |
航続距離 | 18ノット:4,000海里 |
馬 力 | 42,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 2基4門 50口径12.7cm単装砲 1基1門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 次発装填装置 |
機 銃 | 40mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
修理を繰り返して戦線に立った江風 ベラ湾海戦で散る
【江風】と言えば、先代は「江風型駆逐艦」のネームシップ【江風】であり、国産の駆逐艦量産の礎となった駆逐艦です。
【江風】は【海風・山風・涼風】とともに第二四駆逐隊を編成し、第四水雷戦隊所属となります。
太平洋戦争では「レガスピー上陸作戦、バリクパパン攻略作戦、スラバヤ攻略作戦、パナイ島攻略作戦」などの南方海域での作戦に参加しました。
「スラバヤ沖海戦」では3月1日、前日に撃沈させた【蘭ジャワ級軽巡洋艦 ジャワ】の生存者を発見、救出しています。
この戦いは消費資材に対する戦果があまりにも乏しく、後に厳しく糾弾される戦いではありましたが、【江風】も【英重巡 エクセター】に対して魚雷4本を発射。
その【エクセター】はのちに撃沈され、乗員は【山風】によって救助されました。
8月には「ガダルカナル島の戦い」でソロモン海域に進み、ここでは輸送や海戦などで動きまわります。
22日にはなんと単艦でルンガ泊地に突撃し、米駆逐艦3隻と相対します。
そこで【江風】は【米バッグレイ級駆逐艦 ブルー】へ魚雷1本を直撃させ、見事撃沈させました。
「第二次ソロモン海戦」で敗北した日本は、【江風】に鼠輸送を指示、しかし11月には【江風】は空襲によって大破してしまいます。
ところが半月後の「ルンガ沖海戦」に顔を出した【江風】は、しっかり魚雷を米艦隊へ向けて放っています。
昭和18年/1943年1月には【江風】は米魚雷艇1隻を撃沈させますが、戦況は最悪で、ついに日本は「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」を開始させました。
3回の「ケ号作戦」すべてに参加した【江風】は、第二次撤収作戦中に至近弾を受けて小破したことで第三次撤収作戦には不参加となりました。
ですがこの第三次で【磯風】が大破したことで救援に駆け付けています。
しかし作戦終了直後の2月9日、【江風】は輸送中の【東運丸】と衝突してしまい、自力航行ができなくなってしまいました。
ラバウル、トラックを経由して佐世保へと帰投した【江風】は、4月まで修理されることになりました。
復帰した【江風】でしたが、7月には【米サーゴ級潜水艦 スピアフィッシュ】との交戦で再び損傷、半月ほどの修理ではありましたが、その間に第二水雷戦隊は旗艦【神通】と司令部の喪失によって壊滅状態となってしまいます。
ツルブ輸送では先行して座礁してしまった【有明】の乗員の救助にもあたっています。
続く8月には「ベラ湾海戦」が勃発。
この戦いは双方ともに駆逐艦のみの海戦となり、そしてこの戦いはレーダー性能が圧倒的に上回っていた米軍の先制攻撃が大きくものを言った戦いでした。
【萩風・嵐・江風】がほぼ同時に被雷、【時雨】のみがこの危機を回避することができました。
さらに【江風】は【米ベンハム級駆逐艦 スタレット・スタック】に砲撃を浴びせられ、轟沈。
残り2隻も沈没し、【時雨】は奇襲を受けた米軍への反撃もできずに終わってしまいました。
ちなみに、【江風】はガダルカナルへの突入回数が26回と駆逐艦の中で1番と、大変な働き者でした。